ゼロレクイエムから百年近くの時が経った。
神聖ブリタニア帝国は更なる発展を遂げ、エリア十一――――日本との関係も完全に回復していた。
ブラックリベリオンもゼロレクイエムも遠い歴史の物語、当時を知る者はもう誰もこの世にはいない。
一人の人間と一人の魔女を除いて――――。


 ブラックリベリオン、ゼロレクイエム。
百年前の大きすぎる事変、そのどちらをもよく知り、また自らもそれに深く関わった、現代に生き延びるたった一人の人間がブリタニア帝国辺境の地に住んでいた。

 ジェレミア・ゴットバルト。
百年前、ナリタでの戦いがあった日、重傷を負って倒れていたところを研究者に拾われ、 本人の意思も及ばぬうちに実験適合生体に改造された男。実験器具のアクシデントによりカプセルから目覚め、勝手に研究所を抜け出すもガウェイン相手に敗北し、海底に沈められた。
その後ギアス響団に拾われ、更なる改造を施された、人間であって人間でない存在。
不老不死の魔女、C.C.の力を人工的に作り出す実験に適合したジェレミアは、彼女と同じ体を手に入れていた。
老けることも、衰えることも、朽ちることもない、不老不死の肉体を――――。

 そんなジェレミアは、ブリタニアの辺境の地で毎日オレンジに囲まれながらひっそりと暮らしていた。
神聖ブリタニア帝国・第九十九代皇帝、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアより授かった《オレンジ》という言葉。
その言葉はかつてジェレミア自身を激しく苦しめた。
その言葉を聞くだけで気分を害した。
軍人時代の彼にとってその言葉は紛れもなく蔑称であり、何度となく部下にその名前で呼ばれては耐え難い屈辱を味わってきた。
 それでも、彼を《オレンジ》と名付けたのが他ならぬルルーシュだと分かったから――――。
…すっかりオレンジを克服することができたのである。
あんなに大嫌いだったのに。聞いただけ、見ただけでも腹を立てていたのに。
忠義を尽くすべき主君より授かった大切な言葉として丁重に受け止め、自ら軍を抜けてオレンジ畑を耕すという道を選んだのだ。


 それが百年前の話。
彼の忠義は今も全く変わっていない。たとえ周りの環境が刻々と変化していても。
 そう、当時一緒に暮らしていた者…かつて主君と定めたマリアンヌ皇妃の、魂を宿していた少女はもういない。
名をアーニャ・アールストレイムといったその少女は、もう何年も前にこの世を去ってしまった。
彼女だけではない。ジェレミア・ゴットバルトを知る者たちは皆、とうの昔に逝ってしまったのだ。
共にゼロレクイエムに参加した枢木スザクも、かつての部下でエリア十一の総理夫人となったヴィレッタ・ヌゥも。
残されたのは当時と何も変わらない自分と、広大なオレンジ畑だけだった。
孤独な世界で生き続けるほど辛いことはないだろう。それでも、それが忠義だと自分に言い聞かせて、ジェレミアはずっと一人でオレンジを守り続けてきた。
 辺境すぎる土地。こんな場所にオレンジ畑があって人が住んでいることなど、今の人類は誰も知らない。
むしろ知られるといろいろな面で大変なことになるので、これで良いのかもしれないが。
幸い発達したネット社会のおかげで、収穫したオレンジの出荷に困ることもなく、百年もの間ずっと変わらない日々がただ永遠と続いていた―――――。


 そんな静かなオレンジ畑の、ある晴れた昼下がり。
百年間ずっと変わらずに流れ続けてきた時間に、終焉の時が近付こうとしていた。
 いつものように収穫作業に追われていたジェレミアの体に、ちょっとした異変が現れる。
麻痺、吐血、そして特殊な力を宿した左目の異常。瞳の奥から赤黒い血が、まるで涙のように流れ出す。
 …今に始まったことではなかった。数年前から時々起こっていたことだ。
いくらC.C.実験に適合した身とはいえ所詮は人間で、体の半分は機械。一世紀前の人間が作り出した人工物。
ジェレミア自身も、いつ自分の身が滅んでもおかしくないとは自覚していた。
この辺境の地を離れ、遥か遠いブリタニア本国に戻れば、発展した技術で彼を治す方法などいくらでもあるだろう。
でも、そこまで生に執着したいとは思わなかった。
生きられる所まで生きて、死ぬ時はこのオレンジ畑と一緒に。
孤独になったあの日から堅く決めていた決意。ジェレミアは、今日までずっと一人で耐えて、必死に生き続けてきたのだ。

 そんな我慢ももう限界だった。今度こそ本当に体が動かない。
広い畑のちょうど真ん中に植えられた一番大きなオレンジの樹。これは数ある樹の中でも一番最初に植えて、一番最初に実をつけたという、とても思い出深い一本だった。
その太い幹に体を委ね、雲一つない澄み切った青空をゆっくりと見上げた。
 今まで本当にいろいろな出来事があった。ずっと暮らしていたアーニャのこと、主君・ルルーシュが死んだこと、この青空の中をナイトメアに乗って駆けていたことも。
思い出すと同時に、それらの記憶は頭の中で薄れ、バラバラになって消えていった。

 呼吸が荒れた。機械に改造された左目は絶えず痙攣し、瞳の中の導線から不規則な発光が続く。気持ち悪い。痛い。
だが、そんな異常もわずか数分間の我慢で終わった。
やがて、壊れた左目を押さえていた腕から力が抜けていく。両の瞼が左右色違いの瞳にそっと被さり、乱れていた呼吸もぴたりと止まって…。


 ジェレミア・ゴットバルト―――――――
その長すぎた命は、彼が育てたオレンジの樹の下で静かに、孤独な最期を迎えたのだった。



 ジェレミアの死からちょうど一年。世界は何事も無かったかのようにゆっくりと回っていた。
穏やかな日常。ブリタニアと日本の間には、もう何の諍(いさか)いも無い。
ルルーシュが、スザクが、そしてジェレミアが作った平和な世界は、彼が死んだ後もずっと変わらなかった。
 それは辺境のオレンジ畑も同じで。
誰もいない広大な畑では、たくさんの果実が実を付け、風に木の葉が音を立てて揺れていた。
一年前には、これを笑顔で収穫していた者がいた。忠義の証忠義の証とたった一人で楽しそうに、寂しさのかけらも見せずに。
でも、彼はオレンジの樹の下で永遠の眠りについたままだ。まるで楽しい夢を見ているような穏やかな表情のままで。
雨に濡れ、風に曝され、かつての高貴な風貌を完全に失ってしまっていても。
彼の体は壊れていた。人間らしく見せるため、人工的に作られていた皮膚は剥れ落ち、赤紫色に鈍く光る機械の体が破れた服の狭間から垣間見えている。
深い緑色の髪は形を崩し、開かない瞳にばっさりと被さっていて。


 …そんな時の止まった肉体の上に、ひとつのオレンジが音を立てて転がった。
頭上から、風に煽られて落ちてきたひとつの果実。
些細な衝撃。感じることのないはずだった、小さな痛み。
その一撃が、ずっと眠ったままだった彼を現世に引き戻した。
項垂れていた首を持ち上げ、崩れた前髪が被さった両の瞼をゆっくりと開き――――。

 その光景は、まるで百年前のあの日のようだった。
場所はブリタニア政庁の地下実験室。小さなアクシデントでカプセルが割れ、実験適合生体…ジェレミア・ゴットバルトが目覚めたあの日に。

 月明りに照らされた星空を見上げる、オレンジ色と緑色の瞳。
誰かは分からない、だけど誰かに向かって話しかけるようにゆっくりと唇が動いた。

「おはようございました」と――――――――。


 タイムスリップしたかのような光景。偶然にも、それは光景だけでは終わらなかった。
体の異常、記憶の障害…今のジェレミアには何が起こっているのか全く分からなかったのだ。
大っ嫌いなオレンジに囲まれて、その畑の真ん中にいる自分。
ゼロレクイエム…忠義…ルルーシュ殿下…?
何も思い出せない、何も覚えていない、いや何も分からない。
その記憶回路はナリタ攻防戦で返り討ちに遭い、力尽きて倒れてしまった所までしか思い出させてくれなかった。

 左手を見つめる。
人の肌をしていない。
体温も感じない。
赤紫色の薄い金属板をグルグルと巻き付けたようなその形状。
五本の指は、一応自分の意思通りに動かすことができるようだが。
そのまま視線は手首へ、腕へ…上着を脱ぎ、自分の体がどうなっているのか月明りの下で恐る恐る確かめてみた。
 左腕は完全に機械化しており、赤紫の部分はそのまま胸に繋がっている。
左胸に埋め込まれた緑の球。これが何を意味し、何のためにあるかは分からない。
人間としての感触が残る、右手の指先でそっと触れてみたが何も起こらなかった。
その胸の装置からはケーブルが延び、薄い金属板は下半身にまで及んでいるようで…。
 …それ以上の詮索はやめた。
そんなことよりもっとやるべきことがあるから。
自らを人あらざる姿に改造した者への復讐と、自らを陥れたゼロへの復讐と…そして大っ嫌いなオレンジの破壊と。
孤独なサイボーグの心は、憎悪と復讐の炎に黒く染まっていた。
 ジェレミアはゆっくりと立ち上がった。
深い緑色の髪を風に靡かせながら、薄暗い夜のオレンジ畑の中を真っ直ぐ歩いていく。
その視線の先には、巨大なナイトギガフォートレス《ジークフリート》が、黄色く輝く月に照らされてうっすらと影を落としていた。


 それは、ゼロレクイエムから一年後の話。
アーニャと共にオレンジ畑で暮らしていたジェレミアの元に、突如ブリタニア帝国より研究に協力してほしいとの依頼が届いた。
ブラックリベリオンの際ジェレミアが目覚めて研究が中断され、その後V.V.率いる響団に回収されてしまい破壊されたジークフリート。ブリタニア本国ではこの研究に関する資料が全て半端な所で終わっており、それを完成させるためにジェレミアは呼ばれたのだった。
もう日本と戦争することはないだろうが、ブリタニア帝国に攻め込もうとする勢力がこれから現れてもおかしくない。
そのため、半端な所で終わっている強大な兵器の研究は何としても完成させておきたかったのだ。
 このジークフリートは神経電位接続という普通の人間には動かせない方法が用いられている。
無論それはジェレミア自身もよく知っていた。だからこそ研究に協力したのだ。研究のためにまた誰か一人の人間を実験体に改造するわけにはいかないのだから。
…こうして研究は無事に終了し、使用したジークフリートは悪用を避けるためジェレミア自身が自分の畑に持ち帰って保管していたのである。
 一世紀もの間、誰かに盗まれたり悪用されたりすることもなく、館の裏にひっそりと置かれたままだった機体。
百年が経った今、三重構造になっている丸いハッチが、不穏な音を立ててゆっくりと開いていった。
 この大型兵器は、二枚貝のような形をした操縦席の存在しない特殊なナイトメアだ。
フロートシステムが使用されているため地上での走行はできず、空中を浮遊しての移動となる。
武装も通常のナイトメアフレームとは異なり、円錐状の大型スラッシュハーケンが五機装備されているのみ。
とにかく大きさと機動力に物を言わせて戦うことを前提に作られているのである。
 コックピットにはモニターとケーブル、そして当時研究に使用したパイロットスーツがそのまま放置されていた。
雨風に曝され、あちこち破れていた服を脱ぎ捨てると、ブリタニアの紋章が入った青いパイロットスーツに袖を通し、センターのファスナーをゆっくりと上げた。
左肩。腕。重厚な装置を順番に、そして正確に装着していき、最後に手袋をはめると、今度は床で絡まったまま放置されていたケーブルを手に取る。
自らの背中に埋め込まれた端子。そこに四本の黒いケーブルをしっかりと奥まで差しこんでいく。
何故だろう…説明書なんてどこにも無いのに、何故かこのジークフリートの使い方がジェレミアにははっきりと分かった。
コックピットの開け方も、四本のケーブルの接続位置も。
分からないはずの機械、初めて見るはずの機体…何かがジェレミアの中で共鳴していたのかもしれない。
実験適合生体として脳に埋め込まれた情報なのか、それとも忘れきれなかった記憶の断片だったのか。…深く分析するという選択肢は選ばなかった。

 緑の瞳が光る。神経を通じてジークフリートに伝わる『起動』の命令。
コックピットに赤いランプが灯ると、壁にオレンジ色のラインが鮮やかに浮かび上がった。
ジェレミアと機体を繋ぐ四本のケーブルにも、同様に細いラインが幾本も浮かび、オレンジ色に発光していく。
百年間動くことのなかった巨大な機体が、ゆっくりと地面から離れていく瞬間であったのだ。
暗い夜空に向かって、まっすぐ垂直に浮上していくナイトギガフォートレス。
 それとほぼ同時に、一機のスラッシュハーケンが勢いよく放たれた。
ワイヤーが延び、巨大な円錐が1本の樹の根元に深く突き刺さる。
それは、先程までジェレミアが眠っていた一番大きなオレンジの樹。地響きのような音を立てて、隣の樹を巻き込みながら倒れていった。
いとも簡単に。そして主自身の手によって。…オレンジ畑は崩壊の道を歩もうとしていた。
自分の作ったものに満足できず破壊するという、こだわりからくるそれとは明らかに違う。
憎しみ。怒り。そして狂気に満ちた瞳を緑色に発光させながら、次々とオレンジの樹を破壊していった。
限り無く無表情のまま。冷酷に。淡々と。
 コックピットの中で、ただ意識するだけの操縦。ハーケンを放ち、ワイヤーを巻き戻してまた放つ…その繰り返し。
機械はどこまでも彼に従順だった。
と、狙いのズレた巨大な円錐の先端が館の屋根を掠める。
電力を供給していたソーラーパネルが割れ、切れたコードの端から火花が上ると、みるみるうちに赤く大きな炎へと変わっていった。
やがてその炎は、畑全体をオレンジ色へと染めていく。それは果実の色ではなく焔の色。憎悪のように燃え上がる鮮やかなオレンジ色だった。
昨日まで果実が見せていたその色は、炎の色の中へ取り込まれ、音もなく消えていく。
破壊。壊滅。消失。
ジークフリートに伝えたその命令は、わずか数時間で遂行されたのであった。
 喜悦?
 達成感?
 困惑?
 後悔?
どんな感情も浮かばない。その瞳に宿るのはただ復讐の炎だけ。
次はゼロを。自分をこんな運命に陥れたゼロを…!
 燃え盛る辺境の地をモニター越しに一瞥すると、その煙を振り払って機体は真っ直ぐエリア十一へと向かって飛んでいった。



 どんどんスピードが上がっていく、ジェレミアのジークフリート。
何もない、広い空の中を飛び続ける。ただひたすら真っ直ぐに。
やがて見えてきた小国。小さな島の集まりからなる国《日本》が、コクピットの壁を突き抜け神経を伝ってジェレミアの脳内にくっきりと映った。
あの独特の機体は、一世紀を経た今も変わらずその性能を見せつける。
島を確認するとナイトメアは徐々にスピードを落とし、日本の中心都市・トウキョウ租界の大地へと接近していった。
地上からでもはっきり確認できるほど低い高度へと。

 百年の間にトウキョウ疎界は更なる発展を遂げていた。
以前にも増して高層化したブリタニア政庁、地震対策の階層構造やソーラーシステムは、お話の中に出て来るような未来の世界そのもので。
深夜だというのに町はどこも賑わっており、上空からでも人の姿がたくさん確認できた。
そんな見慣れない世界に少し戸惑いながらも、政庁に掲げられた帝国の国旗がジェレミアに確信を与えた。
この中には自分を改造した者たちがいる、そしてこの近くにはきっとゼロもいるだろう、と。
 政庁に近付く不穏な影…ジークフリートを出迎えたのはブリタニア最新鋭のナイトメアフレームだった。
もちろん、快く歓迎されているわけではない。帝国のナイトメアからはピリピリとした空気が、神経を通じての視野ですらはっきりと感じ取れる。
 何度も警告を受けていた。『何者だ。』『止まれ。』『姿を見せろ。』散々言われた。
それでも、全てを無視して進撃を続けていたのだから、こうなるのも無理はない。
しかし、名乗った所でどうなるのだ? 進撃を止めればまた暗い実験室に戻される、姿を見せればオレンジオレンジと罵られるかもしれない。
そう思うともう答えはひとつしかない。
神経電位接続のケーブルが強く発光したかと思うと、機体は勢いよく前進した。
 
 見たこともない機体。 武装。 統率の執れた軍隊と、正確な操縦技術を持ったブリタニアの正規兵たち。
彼の記憶の中にあるのは、まだフロートシステムすら確立されていなかった時代だ。
さすがのジェレミアも困惑や動揺を隠しきれないでいた。それでも、もう後には引けない。もう何も失う物は無い。
帰る場所も、部下も仲間も、地位も名誉も。人であることさえ失われてしまったのだから。
 ただがむしゃらに攻撃を放つ。
機体を回転させての体当たり、スラッシュハーケンの乱射。
今日初めて操縦したとはとても思えない程、ジークフリートはジェレミアの意思に忠実で、機敏な動きを見せて敵を翻弄していった。
 ところが、敵のナイトメアはそれらを全てかわして、どんどん距離を近付けていく。
四方八方から飛んでくる、刃のようなスラッシュハーケン。 至近距離から放たれるハドロン砲や銃弾の嵐…どれも想像を超えた攻撃だった。
ナイトオブラウンズならまだしも、こんな警備隊クラスに何故こんな実力者たちが…?
 …答えはナイトメアにあった。この時代の兵器には高性能なセンサーが備わっていて、攻撃の軌道を察知し自動回避する機能が付いていたのだ。
スラッシュハーケンが近付く度に敵の機体は不測の動きを見せる。
ほとんどが機械任せの自動操縦の時代、パイロットの実力などあまり関係なく、強力な防衛ラインが生み出されていた。
それでも、根本的な操縦は全て人の手によるもので。最新鋭のナイトメアと、神経電位操縦…答えは明らかだった。
 ナイトメアのセンサーは全方向にまで対応できない。何度か攻撃を続けているうちに、ジェレミアはそれに気がついた。
コックピットハッチのすぐ下を目掛けてスラッシュハーケンを繰り出すと、これまでの激闘が嘘のように、簡単にロストしていくことということに。
弱点に気付けば、あとは時間の問題なわけで。

政庁から送り出された空中部隊が、次々と撃破されていった。
百年前の、時代遅れな兵器。それでも強靭な防御力を誇る機体。何度も攻撃を受けていたがびくともしなかった。
何より神経電位接続による回避率は、最新のセンサーよりも遥かに正確なのである。
 対する帝国側は、敵ナイトメアがジークフリートであることに気がつくと、途端に指揮系統に混乱が生じ始めた様子。
ジークフリートの研究は最初から最後までほぼ極秘で行われていたため、歴史上で『ブラックリベリオンで海に沈んだ機体』程度しか世間には知られていない。
そんな機体が目の前に現れて、しかも容赦なく攻撃してきた、そして強い…。
指令室では、幕僚や参謀たちの言い争う声がやかましく響き渡っていたらしい。
「これは歴史的価値も考えられる機体だ!何としても破壊せず捕らえるのだ!」
「そんな悠長なことを言っている場合ではない!攻撃しても簡単にかわされて返り討ちにあっているのが現状だぞ!」
 …こうして作戦はまとまらず、前線に投入されたナイトメア部隊は次々と倒されていった。
下級兵、指揮官、そして将軍までも。
作戦も問題だが、何よりこの時代は平和になりすぎて、皆実践慣れしていない世代ばかりなのだ。
いくらシミュレーターが発達していようが、こんな機体との戦闘を想定したモードなど入っていないのだから。
 そうこうしているうちに、どんどん政庁守備隊の数が減って来た。
とはいえ、ハドロン砲を受けてもびくともしない機体相手では手の打ちようが無いのかもしれないが。

「ゼロぉぉぉぉ!!」

 うっすらとオレンジ色に染まった夜明けの空に、憎しみに満ちた叫び声だけが響いていた。
今のジェレミアにはもう何も見えていない。
この時代にはゼロなんていないという事実に気付きもしない。
 向かってくるから攻撃する。
ゼロを探したいのに。本当はゼロと戦いたいのに。邪魔をするから迎撃する。
空虚な戦いは永遠のように続いた。次の夜明け、そのまた次の夜明けと、何日も何日も。
機械であるジェレミアに疲れは存在しないのだろう。
もうずっと寝ていないし、何も食べていない。
ジークフリートも、エナジーフィラーではなくジェレミアの神経で動いているので、彼の意思が変わらない限り永遠と動き続けるのである。
地方からの援軍も次々と現れ、トウキョウの空では四六時中爆音が絶えることがなかった。

 一方地上では、何が起こっているのか全く把握できていない民間人たちが混乱の渦中にいた。
騒ぎに乗じた暴動や略奪行為は町中に氾濫し、そしてその治安を守るべき軍隊や警察はジークフリートの応戦に掛かりっきりで…。
空からはナイトメアの残骸が絶えず降り注ぐ。そして軍の撃った流れ弾の影響もあって、長らく平和だった町は一瞬にして崩壊していくのであった。


 トウキョウ疎界の真ん中で、天高くそびえ立つ巨大な建物・ブリタニア政庁。
その屋上に降り立とうとする大きな影…オレンジ色の二枚貝のような機体が、地面と接する一番下のスラッシュハーケンのワイヤーを延ばし、着陸体制に入っていく。
丸みを帯びた機体が屋上庭園の床に落ち着くと、そっと活動を停止した。
機体の外側も操縦桿代わりのケーブルも、すっかり光を失って無機質な色を見せ、永遠に続くかと思われた戦いは一端の終わりを迎えたのだった。
 一枚、二枚、三枚と円形のハッチが金属音を立ててゆっくりと開いていく。
コックピットフロアがせり上がり、徐々に人影が見え始めてきた。左半身を人工物で覆われ、普通の人間のシルエットとはかけ離れた、ジェレミア・ゴットバルトの姿が。
 身長は二メートル近い。細身の体に深い緑色の髪。肩や腕に付けられた刺々しい装置が、夜の闇の中で時折怪しく閃いている。
前髪の間から垣間見える黄緑色の義眼は、復讐の炎に支配されていて。人の心はそこに無かった。
 ブリタニア政庁からも人というもの…人の気配が全く感じられなかった。
ここだけではない。広いトウキョウ疎界全てから人の息吹というものが完全に消えて無くなっていた。
《ゼロ》…
存在しない敵。どんなに攻撃しても絶対に倒せない相手。空虚な宿敵。
暴走とも言える攻撃は何日も何日も続き、そしてこの静寂が生み出されたのだった。
誰もいない、誰もいなくなった静かな世界で、時だけが変わらず動く。ただただ空しく、音も立てずに流れていく。

 オートタラップを伝って静かに地面へと降りる、たった一人残された人間は、荒廃した世界を眼下にして何を思うのだろうか。
緑に囲まれ、花が咲き乱れ、美しく流れていた水は、もうそこには存在しない。
どこを見ても戦いの痕跡しか見えない、瓦礫と粉塵に覆われた廃墟。聞こえるのは、今もどこかで燃え続ける炎の音だけ。
そんな世界の中に、ひとつの足音だけがゆっくりと静かに鳴り響いた。
金色の装甲で覆われた右足のブーツと左足の黒い革靴はコツコツと左右違う音を立てながら、瓦礫を踏みしだいて真っ直ぐ歩いていく。
枯れた花、黒く焼けた芝生、埃と泥で濁った水、ナイトメアの残骸、血溜まり…避けて通ろうとはしない。その足取りはただ一直線に、下へと降りる階段の入口へと向かっているのだった。

 いったいどれだけ歩いただろう。電力が経たれ、役目を果たさなくなったエレベーターホールを横目に、ただひたすら下へ下へと。
どこまでも果てしなく続く非常階段には、永遠の如く足音だけが木霊し続けていた。
何かに導かれるように、惹かれるように、まるで本能のように、初めて通る場所とは思えない、しっかりとした足取りを生み出しながら。


 やがて辿り着いたのは、地下実験室と呼ばれる遥か昔に封印された部屋の入口だった。
重い金属の扉。身体認証システムに暗証番号…厳重なセキュリティの元で研究されていたもの、それがジェレミア・ゴットバルト本人であったのだ。
自分を機械にした、改造した、人間であることさえ奪っていったこの研究。
憎しみに満ちた左腕がセキュリティシステムを破壊したのはすぐのこと。激しい金属音がしたかと思うと、扉の横に設置されていたパネルが一瞬にして砕け散った。
床一面にパラパラと散らばる破片。踏み砕き、力づくで扉をこじ開ける。
 ようやく辿り着いた、復讐の舞台。ようやく答えが見つかる。目的の一つが果たせる。ジェレミアに瞳は復讐の狂気から仄かな喜悦に一瞬変わっていたように見えた。
…だが最初の喜びも束の間、そこに広がっていたのは彼が求めていた世界とは大きく違っていた。
実験器具やカプセルが壁を覆い、床には幾本にも及ぶコードが配線され、金属の壁に囲まれた暗く冷たい空間。
ジェレミアの記憶にあった機械的な部屋は、そこに存在しなかった。

広い、何もないがらんとした空間。非常灯も取り付けられていない、薄暗い部屋。
そんな部屋の真ん中にあったのは、ひとつの小さな墓石だけだった。
どうしてこんなものがここにあるのか、戸惑いながらもゆっくりとした足取りでそれに近付いてみた。
 辺りは暗い。所々欠け落ちている上に埃まで積もっていて、何が書いてあるのかはっきりとは見えなかったが、それも時間が経つにつれてだんだんと目が慣れてきた。彫られた文字も読めるようになっていった。

『LELOUCH VI BRITANNIA』

 たしかにそう書かれていた。
さらにその下には『神聖ブリタニア帝国第九十九代皇帝』とも彫られている。
皇帝の墓がこんな所に何故…?
ふとした疑問。その小さな疑問が、ジェレミアの失っていた時間を一瞬にして巻き戻した。
 
九十九代皇帝。 悪逆皇帝と称され、帝国臣民全てを敵に回して死んでいったルルーシュ・ヴィ・ブリタニア。
かつて自分が忠義を誓い、尽くしていた主の名前。
そして、ルルーシュ自身の計画によって決行されたゼロレクイエムによって、悪逆皇帝は命を落とし、世界に平和がもたらされ……
 何もかも思い出した。
そして、今自分が何故ここにいるのかも。
全てを思い出した瞬間、ジェレミアの姿は地下室から消えていた。
ただ必死に、とにかく無性に、息を切らして長い長い階段を駆け上がる。
疲れなど知らないはずの半機械の体が痛みを訴えていても、ぐっと押し殺して次の一歩を踏み出していく。
誰もいない静かな政庁に、堅い足音と荒げた呼吸だけが響くたび、その恐怖を現実のものに近付けていった。


 数時間後。ジェレミアの姿は政庁の屋上にあった。
走り続けた上り階段、まだ呼吸が乱れている。だが、そんな疲れも今の世界の姿を目にした途端に全てを黙らせた。
 厚い雲に覆われて、月も星も見えない漆黒の夜空の下、視界に広がる世界はどれも全て『現実』で。
戦いに荒れ果て廃墟と化した屋上庭園も。
黒い煙とオレンジ色の炎に包まれたトウキョウ疎界も。
全く感じられない人の気配も。
そこにあった現実は、彼が自らの手で破壊した日本の未来だった。

 …信じたくはなかった。
夢の中の話でありたかった。記憶なんて取り戻さなかったほうがよかった。
どうにもならない世界を前に、もう声も出ない。体も動かない。
割れたタイルの上に力無くへたりこむと、見開いたままの瞳からはただ涙だけが溢れ続け、頬を伝って地面を濡らした。
泣けない左目は放電したかのように不規則な動きを続けているだけ。泣きたいのに、泣けなかった。
泣いて世界が元に戻るわけじゃない、涙で償える罪なんて無い。そんなこと嫌というほど分かっていても、今は泣くことしかできなかった。
後悔。自責。懺悔。贖罪。ただ自分を責め続けた。
寂しさや悲しさ、悔しさも合わさって、涙は留まるところを知らない。
 孤独な世界に取り残された、涙に濡れた右手が半ば衝動的に、左胸から伸びる二本の細いコードを思い切り引っ張った。
こんな機械壊してしまえ。
こんな機械いらない。
世界を壊したその手で、最期に自分を壊して全てを終わらせよう。
泣いても、壊しても、世界は戻らないけど。
自分にできる償いはこれぐらいしかないから。

 だけど…。壊せなかった。死ねなかった。
コードは体に堅く固定されていて、どんなに引っ張っても抜けも切れもしなかった。
また肩を落とす。
死ぬことさえ許されないのか。死んでも償えないということなのか。
ゆっくりと立ち上がると、覚束無い足取りで一歩、また一歩とあてもなく歩き出した。


 どこへ行けばいいのだろう。
こんな自分を、誰が迎えてくれるのだろう。
そうだ、帰ろう。
だけど、どこへ…?
帰る場所なんてもうどこにも無い。辺境の館も、オレンジ畑も、何もかも自分の手で壊してしまった。
仕えるべき主ももうこの世界には存在しない。かつて主君と作った世界ももう…。
 やがて、空虚な歩みは屋上の端の、壊れたフェンスの前で停止した。ここから落ちれば。
ブリタニア政庁は地上数百メートルの巨大な建物だ。この高さから飛び下りたら今度こそ。
眼下には、勢いよく燃え続ける真っ赤な炎。瓦礫に覆われた街が遥か下の方に小さく見えた。
さすがに怖い。
だけど。
 ぐっと息を飲んだ。
涙が枯れるまで泣き続けて、赤く腫れた瞳に決意の色が見えた。
これで全て終わりにしよう、そう思って最期の一歩を踏み出そうとしたその時、どこからか人の声が聞こえた気がした。
辺りを見回す。…やはり、誰もいない。当然だ。人間はみんな死んでしまった。殺してしまったのだから。
きっと自分の中で死ぬことを恐れているから幻聴なんか…

「力が…れ…生きら…るか……?」

…?
やっぱり聞こえた。しかも、どこかで聞いたことがあるような、若い女性の声。
慌てて振り返るとそこには傷ひとつ負っていない、すらりと細い体に白い衣装を纏った女性が無表情で立っていた。
「力があれば生きられるか?
お前には、生きる権利がある。 いや、義務がある。 世界を元に戻すという義務が…。」
淡々と言葉を並べながら女性はゆっくりと歩き出し、ジェレミアとの距離をどんどん詰めていく。
黄緑の長い髪を風になびかせながら。
 彼女の姿には見覚えがあった。
初めてその姿を見たのは百年前。実験室のモニターの中だった。
CODE-Rと呼ばれる実験の内容を聞かされた時。自分の体がこの女性を元にして作られたと言われた時の話。
その後ルルーシュの配下となった自分の、仲間として共に戦ったブリタニアの魔女C.C.…。

百年を経た今、皮肉な形で二人は再会を果たした。
向かい合う二つの瞳。
オリジナルと実験体。

 「これは、契約…」
まだ戸惑いを隠せないままのジェレミアに向かって、C.C.はそっと右手を差し出した。
何かを待っているかのように、その手が空中でぴたりと止まる。
それを見た瞬間、実験体の曇っていた表情がわずかに晴れた気がした。
細く白い魔女の手のひらにジェレミアの青い手袋が重なったかと思うと、涙に濡れていたオレンジ色の瞳に紫色の光と紅い紋章が閃いた。

これからどんな困難が待っているかわからない。
それでも。

自分では力を使えないブリタニアの魔女と、力を宿し、力を解除する能力まで持ち合わせた実験適合生体。
繋いだ二人の手が離れてしまわない限り、絶望の未来は存在しないと信じて。


… END …








◆あとがき◆

まずはじめに…このあとがきは、この小説を書いてからかなり時間が経ってから書いております。
最初に書いたものを適度に修正し、あとがきを付け加えて再録のようなカタチです。

 さて、このお話はジェレミア小説処女作です。
もともとR2のジェレミアが嫌いで、メカジェレの狂気のままでいてくれたらよかったのに!という強い思いから生まれました。
(当時は)メカジェレミアが好きすぎて、なんでR2みたいなマトモなヤツになっちゃったんだよ!というのがどうしても許せなくて。
でも原作をいじるのはちょっと違うので、時を流して100年後に壊れていただくカタチになりました。
でもストーリー的に壊れたままだとただの狂気で終わってしまうので、結局まともに戻った挙句C.C.と契約して最強の男に……そうなのです、この結末が自分でもなにか楽しくなくて、書いたはいいけどロクに校生もせず放置していたのです。
今になってようやく修正する気になりましたが元がダメすぎたのでこの程度にしか治りませんでした\(^o^)/
なんというか表現も文章も単調ですねぇ(汗)
イチから書き直せばまた違うモノが出来上がるかもしれませんが、根本のストーリーがいまいちなのでやる気スイッチが入りませんでした(笑)

…ちなみに今はメカジェレよりしょんぼりオレンジ一直線であります。 
最近の作品(邂逅とか拘束の話とか)が最も分かりやすい傾向でしょうか。
次はしょんぼりオレンジ最新作でお会いしましょう。
ダークな話でしたが最後までありがとうございました!