オレンジ色の空が美しいある日の夕方。廃墟と化したシンジュクゲットー第四区画で、一つの煙が天に昇った。
「全く…手間をかけさせやがって…。」
操縦桿を握る両手から力を抜く。
眼前で燃え上がる一機のナイトメアをモニター越しに睨みつけながら、口の端をにやりと上げる。
「安心しろ。純血派は私が継いでやる。潰しはしないさ。」
再び操縦桿を手にし、構えたランスを炎の中に尚も突き刺す。
「貴様が…悪いんだ…貴様さえいなければ! …この裏切り者め…!!」
その目には憎しみが宿っていた。
透き通るような青い瞳の内側では、煮え切らぬ怒りの炎が尽きることなく燃えていた。
パチパチと音を立てながら焼け焦げていくナイトメア。もう壮麗な群青色のボディも真紅の両肩も溶けて無くなり、灰の色に染まっている。オレンジ色の炎の中で黒く塗りつぶされていく。
「…あばよ、オレンジ。」
四機のサザーランドが、静かにシンジュクゲットーを立ち去った。
真実を炎の中に残して。まるで何事もなかったかのように、涼しい顔で政庁に帰って行く。
その後ろで、オレンジ色は勢いを増してゴーゴーと燃え続けていた。慟哭のように。信じてくれ、と必死に訴えているかのように。しかし黒煙は言葉にならず、誰にも届かない無言の叫びを上げながら、ジェレミア・ゴットバルトは灰となってこの世を去った。

後に作り出された嘘の報告書では、【戦死】という文字が並んでいたという。



今日は新生純血派と称した新たな派閥が、軍内部で発足した話をしよう。
それは、旧純血派が没落してから一ヶ月後のことである。
リーダーであったジェレミア・ゴットバルトの戦死をきっかけに、純血派は大きく揺れた。そもそもある事件が理由で倒れかかっていた派閥、世間的にはさほど大きな影響は無かったようだが、派閥の中ではいろいろあったらしい。
純粋に彼の死を悲しむ者もいれば、いなくなって清々したと呟く声も聞こえてくる。ナンバーツーでジェレミアの直属を務めていた者などはこの訃報を機に派閥を去った。
 そんな中、残った数少ないメンバーで立ち上げたのがこの新生純血派なのである。
新リーダーを務める男は、青い目の青年キューエル・ソレイシィ。旧純血派でナンバースリーだった人物だ。
家柄も良く、ナイトメアの技術も持っている。ジェレミアに比べれば劣るかもしれないが、このメンバーの中で選ぶのなら彼が適任といったところであろう。
 生前のジェレミアとはよく対立していたキューエル。しかしながらジェレミアの掲げた純血派の思想が気に入らず対立していたわけではない。ブリタニア軍はブリタニア人のみで構成し、他国籍の人民を介入させないことでより強く国を思う部隊を作り上げる―――――この思いに関しては誰よりも強く、だからこそ純血派に留まったと言えよう。
(賄賂にまみれた貴様とは違う。純血派の志は私が証明してやる。)
記者会見の席で真ん中に座るキューエルの青い瞳には、生き生きとした活気の炎が宿っていた。



 マイナスからのスタートというのは風当たりの強さを意味する。
ジェレミアが塗った泥は未だ落ちきっていないらしい、新生純血派は、早くも苦しい立場に置かれていた。
いっそ純血派という名前を捨てて新たに何か作ればよかったのに、頑なに拒んだキューエルがそんな泥付きの名前を引きずった所為もあるだろう。
どうしてそこまで純血派にこだわったのか。それはキューエルとその直属数名しか知らない。
 新しい派閥に期待を寄せていた若い兵たちは次々に士気を落として。毎日ぱっとしない書類仕事やシミュレーターによる訓練だけが時間を無為に流していく。
「キューエル卿…純血派はこれでいいのですか?」
「コーネリア殿下はどうして我々に出撃を命じて下さらないんですか!?」
キューエルに浴びせられる苛立ちの声。
『何故。』『どうして。』
オレンジの所為だ、と言いたかったところをぐっと堪えて頭を下げた。胸に光る赤いバッジを強く握りしめながら悔しげに唇を噛み締める。
ジェレミアさえいなくなれば純血派は生まれ変わりまた昔のように輝けると踏んでいたキューエルに、ふっと影が差した一瞬でもあった。
…もうオレンジはいない。泥は残っているかもしれないが、それを含めて背負ったのは自分だ。権力も責任も全て我が手の中にある。自らの力が派閥を左右するのだ。
キューエルの中に決意が生まれた一瞬でもあった。



(これは…約束……)
 キューエルは全てを捨てた。プライドも、プライベートも、華やかだった過去の記憶も。
毎日必死になって仕事に励んだ。貴族の御曹司という身でありながら、小さくなって方々へ頭を下げた。ジェレミアがやっていたようなイレヴンを貶めた汚い手段はもう使えない。正々堂々と、軍のトップに返り咲いてやろうと寝る時間も削って机に向かった。
出動要請が下れば、先陣を切って敵地に飛び込んでいった。騎乗戦だけでなく、生身での戦闘にも参加した。通常、爵位持ちの軍人を生身で前線に送り出すなどしないのだが、キューエルの強い意志によって部隊編成が成された。銃弾の中をかいくぐり、血みどろになって功績を上げていく。
純血派を復権させる――――――その為だけに。ただ一途に。
 そんなキューエルの必死の思いに、付いて来る部下は意外にも多かった。全盛期に比べれば遥かに少ないし、新生と聞いてやっては来たものの期待が外れてバッジを捨てていく者もいた。それでも、キューエルを慕い残ってくれる頼もしい部下に囲まれ、新生純血派は不安定ながらもゆっくりと足場を築き始めていた。

 キューエルは時折思う。ジェレミアは、こんなにも大変な思いをしてきたのかと。
確かに新生純血派はマイナスからスタートした。ではそもそもの純血派が立ち上がった時はどうだっただろう。
創設メンバーでもあるキューエルは知っている。いきなり前線に連れ出してはもらえなかったことを。いつ発揮できるともわからないナイトメアの操縦技術を、シミュレーター相手に虚しく磨いていたことを。
下っ端として、言われるがままに動いていたあの頃、ジェレミアは…きっと……。
リーダーとして、部下を抱える身になって、派閥を背負うということを知って…キューエルは、ジェレミアという男の努力を初めて知った。
 国を思い部下を思い必死に戦って死んだジェレミア・ゴットバルト。
非業の殉職を遂げた故・上司に向けて、青い瞳は初めて涙を捧げ頭を下げた。
それは敬礼ではなく。彼と彼の直属三名しか知らない、真実への懺悔として。



 キューエル・ソレイシィによる必死の努力が報われたのか、新生純血派は異例の早さで出世を遂げた。もっとも、ジェレミアのように総督の直属とまではいかなかったが。後方待機の予備部隊・ほとんど空気といった最悪の頃に比べたら幾分もましになった。
 額と肩を赤く塗られた何機ものサザーランドが戦場を舞う。
もちろん被弾もあったし撃墜された機体もあったが、戦況は有利といったところだろう。部隊内、他の仲間との連携も取れており、キューエルは信頼される上司としての地位を確実に磨き上げていた。
 そんなキューエルのランスが敵の機体を貫く。真っ二つになるコクピット。配線は切断され、そこから火花が上がりオレンジ色の炎へと変わりゆく。
眼前で燃え上がるナイトメア。
黒煙が空に立ち込める。ゴーゴーと音がする。機体は溶け出し、黒く染まって灰になっていく。
骨もほとんど残らないであろう灼熱の業火。無惨に失われていく命を目の当たりにして。
ふっと何かを思い出したのだろうか、キューエルの瞳には気づけば涙が溜まっていたという。



 ナリタ連山。今からここで大きな戦いが幕を開けようとしていた。日本解放戦線との正面衝突である。
布陣はコーネリアの指揮によって決められた。部隊は大きく分けて六つ。本陣、ダールトン隊、ギルフォード隊、アレックス隊、カリウス隊、そしてキューエル率いる純血派の部隊だ。
最前線への配属は叶わなかったものの、主力部隊として活躍の場が与えられた。偏(ひとえ)にキューエルの努力が実った結果であろう。
 出撃の時を待つ。ここで功績を上げ、更なる躍進を。栄誉を。出世を。皆士気を高めながらその時を待ち続けていた。
しかし、突如としてコクピット内に響き渡ったのは、部隊壊滅を知らせる警報と外から感じる大地の揺れ。巨大な地響きが部隊を襲ったのだ。
山崩れ。予想だにしない突然の事態で戸惑う本陣。ダールトンとアレックスの隊が直に巻き込まれ、連絡が付かない。
こんな状況であるにもかかわらず、出撃命令も救助への出動要請も下らない。そうこうしている間に、カリウス隊が全滅したとの情報が入ってきた。
部隊内に走る動揺の声。しかし、上からの命令は絶対なのが軍隊の掟だ。キューエルはただじっと出撃の時を待った。
 …と、新たな情報が入った。山頂より新手の敵影が確認されたとのこと。黒の騎士団が現れたのだ。
モニターに映る山頂の様子。ゼロの機体と思われる角の付いたナイトメアが突撃してくる。
その進路上に位置していたのは…新生純血派であった。
「キューエル、そちらに黒の騎士団が向かっている。全機で迎え撃て!!」
純血派の機体の中で、コーネリアの命令が力強く響いた。
 臨戦態勢に移るサザーランド。黒の騎士団ならこれまでも何度か戦い、倒してきた。一部の団員の中にはそんな余裕が生まれていたのだろうか、しかし展開したサザーランドに浴びせられたのは見たこともない赤い機体による灼熱の洗礼だった。
…カリウス隊が全滅した要因がようやく分かった。
全てこの赤い新型による猛攻だったのだ。長い右腕による凶悪な攻撃。動きも早い。
それに連携してグラスゴーもどきも大量にやってくる。
肝心のゼロはというと少し離れたところから高みの見物というのだから腹が立つ。余裕だ。
それに対し、純血派は…スタントンファ、ランス、スラッシュハーケン、様々な武装を以てしても黒の騎士団を止めることは叶わなかった。

 皆死んだ。すんでのところで脱出した者もいたが、ほとんど全てが炎と化して吹き飛んだ。
たった一機を前にして、虚しく瓦解する一部隊。築き上げてきた新生純血派がわずか数十分で崩壊してゆく。
力の差は歴然だった。機体のスペックはたしかに問題であろう。だけど、もしここにジェレミアがいたら、戦況は変わっていたのだろうか―――――
物思いにふける最後の一機へ向けて、赤い右手が真っ直ぐに伸ばされた。
(…すまない。ジェレミア。)
 キューエルはぐっと目を閉じた。まるで何か覚悟を決めたかのように。
と同時に、凄まじいまでの熱と振動がコクピットの中を支配する。声にならない悲鳴が無意識のうちに湧き上がった。
熱い。燃える。焼ける。
一瞬にして乾いた涙は、しかしまた新たに溢れ出す。
熱さや痛みから来る涙ではない、きっとキューエルにしか分からない涙が止めどなく頬を濡らす。

(…これが死…本当の戦死……)

 山崩れ、そして新型、ゼロの作戦による勝利は誰の目にも明らかだった。
ゼロは、敵を翻弄するのが得意らしい。
目の前でバチバチと散るオレンジ色の火花が炎に変わるのも時間の問題であろう。

(…本当は、オレンジなんて…疑惑なんてなかったのかもな…。)

 キューエルの両手は未だ操縦桿とともにあった。力強く握られている。意識は確からしいが、シートの両脇に設置された脱出レバーに触れた形跡は無く。

(…これは、報い――――)

 一瞬の閃光とともに、サザーランドは炎に包まれバラバラになって崩れ落ちた。
指揮官だというのに最も弱く、何の抵抗も無かったと赤い機体のパイロットはゼロに報告をしたという。

 もしも天国に行けたなら、ジェレミアに会って謝りたい――――――それが、キューエルの出した答えだったのだから。


………………fin




◆あとがき◆

 深夜に二時間で書き上げたお話、いかがだったでしょうか。
ヴィレッタ主体のif話を過去にやったので、キューエル主体のif話も書いてみようと思ったらこうなりました。
大変短くなってしまいましたが…。

 原作でのキューエルは、(多分)ジェレミアへの恨みを抱えて死にました。キューエルはジェレミアに一度も謝らないまま死んだのです。
ジェレミアに酷いことしてすまなかった、とキューエルが懺悔する話を構成してたらこうなり…。一応プロットとしては前作である『全てを無くした貴族』の執筆前に上がってたんですが、あっちを先に書いてしまい…似たようなコンセプトの話になってしまいました。
というか全てを無くした貴族のほうにこの話のプロットが流れていったような。
だから区別を付ける意味も含めて、ジェレミアの感情については一切書きませんでした。ジェレミア本とはいえ、これはキューエルの話です。

 しかし…『ジェレミアがいたら戦況は変わっていたのだろうか』

変 わ り ま せ ん 。

自分で書いてて10話のジェレミアの情けない顔思い出して噴き出しましたが、キューエルの中でジェレミアが偉大な存在になった=美化された というのが書きたかったので…。

そうそう、部下たちが生きている間はキューエルも必死に戦ったんですよ?しかし紅蓮相手では…。1人になって、いろいろ悟って、死を選びました。部下放置で死にたがる子ではないのです。

 最後までお読みいただきありがとうございました!
次は…そろそろ本気のasukaジェレミア書きますよぉ!