八月二日。今日は、ある男の誕生日である。
例年通りであれば大きなホールで華やかなパーティが営まれ、彼の勤めるブリタニア政庁では祝いの言葉が飛び交うはずであったのだが…どうやら今年はそうはいかなかったらしい…。

 ジェレミア・ゴットバルト。
オレンジ疑惑で投獄。
釈放されるも、爵位剥奪の上、三階級降格処分。
肝心のゼロは掴まらない。
大規模な軍事作戦では、いつも部下共々後方配属。
いらない子。厄介払い。その身分、絶世期に比べて落ちるところまで落ち、その扱いは一兵卒と変わりなく…。
…とても人に祝ってもらえるような状況ではなかったのだ。誕生日などと浮かれている場合でもないのだ。
 だが、意外なことに部下たちはそんな上司の置かれた立場をものともせず、次々に祝いの言葉を畳み掛けた。
彼の執務室の机にはリボンの掛かったプレゼントの箱が山のように詰まれている。席の真上には薬玉が準備され、部屋の中はモールやらラメやら飾り付けでどこもかしこもキラキラテカテカ。
軍の施設でなおかつ上層部の人間の執務室か?と一瞬疑いたくなるほどに、その部屋は異様な程華やかな光景に変わり果てていたのだ。

 部屋の主がここにやってきたのは、夕方のこと。ドアを開けた先に広がるきらびやかな光景に、彼は目を疑った。
部下たちはいつも冷たい。キューエルを筆頭に、毎日何かしらの陰湿ないじめを食らう。それが、今日は一体どうしたことか。
(誕生日なんて…どうせまた嫌味ばかりで誰も祝ってくれないと思っていたのに…あいつら…。)
ちょっぴり涙しながらも、ジェレミアは部屋の中をまじまじと見渡しながら、座りなれた椅子に腰を下ろした。
目の前に詰まれたプレゼントの山。どれから開けようかと目を輝かせている。
二十九歳になったというのに、まるで子供のような純粋な目で、嬉しそうな表情もストレートに、隠すことなく全力で喜びを表現していた。
しかし。純粋という言葉は単純という言い方もできる。こんな単純男、はたして上司として好かれるのだろうか。
…答えはノーであった。

 期待に胸を踊らせながら、包装された箱を開けたその感想は…大いなる落胆ただひとつ。
あの箱も、この包みも、中身はみーんなオレンジ。
酷いものだと、ビックリ箱のようにオレンジが飛び出してくるものや、これは拷問だと言わんばかりにひとつのオレンジに針や釘が突き立てられていたり。箱の底に領収書なるものが入っているパターンもあった。せめて自分の金でやれよと言いたくなるも凹むポイントはそこ以外にも無数にある。
もう残りの箱を開ける元気すら無い。開けても開けてもオレンジジュースにオレンジ石鹸、オレンジの香水。バリエーションはいろいろあったが全てにおいて共通していたのは《オレンジ》の文字。
せめてもの期待をかけて割ってみた薬玉からは大量のオレンジが降り注ぎ、固い果実が頭のてっぺんをドンピシャに直撃した。
中身を楽しみにし、疑うという言葉も知らず、心からわくわくしていた彼にとって、嬉し涙から悲しみの涙に変わるのは至極当然の然り。

 大量に並べ立てられたオレンジを前に、ジェレミア・ゴットバルトは机に顔を埋(うず)めて泣き出した。
入口で、廊下で、みんなが祝ってくれたあの言葉は全て嘘だった。
喜びが大きかったから、のしかかる悲しみもまた大きい。
昨日の夜はそもそも一切の期待をしていなかったから…何も無ければこの仕打ちだってもうすこしマシに感じられたかもしれないのに…。
子供のように泣きじゃくる上司のもとへ、タイミングを謀ったかのようにこの計画の黒幕が現れた。
「ようオレンジ。おめでとう。プレゼントは気に入って頂けたかな。」
その声には、明らかに嫌味を含んだ笑いが込められている。キューエル卿は今日も例外なくこの態度であった。
もう分かっている。いつものことだ。目を合わせようともしないジェレミアのもとに、キューエルはつかつかと歩み寄って来て、
「私からのプレゼントはこれだ。」
言い終わらないうちに素早い手付きでシャンパンのようなボトルを開けると、それをジェレミアの頭上で一気にひっくり返した。
 青緑の髪がオレンジ色の液体に染まる。氷のように冷えたそれは首筋を伝って背中へと滴り、夏だというのに体は震えを止めない。机に溜まっていた涙もまたその液体に吸い込まれ、辺りはオレンジの香りで満たされた。
「祝福といえばこれだろう? まぁ、シャンパンシャワーならぬオレンジジュースシャワーだがなっ。
大サービスでよーく冷やしてきてやったんだからせいぜい堪能しろよー! あっはっはっはっ…」
キューエルは空になった瓶を部屋の中に投げ捨てると、楽しそうに笑いながらゆっくりとした足取りで去っていった。


 残されたのは、やり場の無い悲しみに満ちた泣き声だけだった。
もう立ち上がる元気も沸かない。普通のシャワーを浴びに行きたい、服も着替えたい、部屋も片付けたい…いろいろやりたいことはあるのだが折れた心はその足まで折ってしまったようで…
それからも何名かの部下が部屋に入ってきたが、その行動は先ほどの鬼と大差無く。薬玉の時より遥かに勢いよく例の果実を投げ付けられたり、嬉しくないシャワーも続々と降り注いだ。
いっそ普通に殴られたほうがましかもしれない。たしかに痛いが、外傷だけで済む。精神はまともなままでいられる。
 そんな心の叫びの通り、彼の精神は限界を迎えようとしていた。
こんな所にいたくない。でも、行くところなんてない。
だけどせめて明日になるまでは…どこか、誰もいないところで一人になりたい。
誕生日ぐらい…一人静かに泣きたい。

 ジェレミアは、無我夢中で部屋を飛び出した。
廊下にオレンジ色の水滴をぽつぽつと滴らせながら、その足取りはまっすぐ出口と向かっていた。
外はもう西の空まで真っ暗な闇に覆われて、見上げた空には分厚い雲。降り注ぐ大粒の雨。
思わず室内に引っ込みたくなるような豪雨の中、ジュースに濡れた男はためらうことなく出て行った。
 この雨がきっと流してくれる。悲しみの涙も、オレンジの香りも。
冷たく激しい夜の雨に打たれることに、これ程までの安らぎを感じたことはなかった。いや、こんなことに安らぎを感じてしまう今の自分が不憫でならなかった。
全てはゼロの所為? あんな部下しか寄り付かないのは自分の所為? それとも…
迷いと嘆きを引っ提げて、ジェレミアは夜の町をあてもなく走り続けたのだった。




 数時間後。走り、歩き疲れた足は真っ暗な森の中にあった。
誰もいない、誰も来ない。ここで、静かに朝まで泣きたい。
すっかり雨も上がり、オレンジの香りは無くなったものの、涙はまだまだ尾を引きずるらしい、大きな木の下に腰を下ろすと、膝を抱えてうずくまった。
…政庁に帰ったら、きっとまたオレンジの雨。家に帰っても何かある…。
一年に一度の特別な日だというのに、ジェレミアには居場所が無かったのだ。
 時折吹く強い風が、頭上の枝葉から雨水の粒を呼び、涙と一緒に地面に染みた。地面じゃなくて体に落ちると、その冷たさに凍りそうになった。
真夏とはいえ深夜の森に暑さは無い。濡れた服が余計に寒さを増長させ、まるで冬のような悪寒が体に走る。
寂しさにみち満ちた森の奥で、ジェレミアの涙は心の傷から体の痛みへと変わりつつあった。
朝まで泣き通したかったけど、それ以前に体が持ちそうにない。しかし今帰ったら今度は心が死んでしまう…悩みながらも、じっとしていることができない性分らしい、ジェレミアは重い腰を上げてとぼとぼと歩き始めた。

 つい勢いで駆け出してしまった森。ところでここはどこなのだろう。
ふと我に返ったその時はもう迷子ちゃんであった。
出口の見えない深い森。町の明かりも、月の位置も、何も見えない。
(どうしよう。本当にひとりぼっちになってしまった。)
キューエルのいじめも嫌だけど、孤独な森の寂しさはそれを上回る勢いで心を抉った。
外灯などない自然のままの森は、目の前の樹々や根までも闇の中に隠し、不意にぶつかり、躓いて、転んで、倒れ、立ち上がり…それの繰り返し。
たっぷりの雨を含んだ土は乾きかけていた体にまた冷たさを呼び戻し、心身ともに限界を迎えるのはもう一寸先のことであったらしい。









 暗い森の中に一つの足音がしっとりと響いた。それは、確かな足取りで明かりとともに移動している。
時は夜の十一時。その明かりにうっすらと照らされているのは黒い髪をしたブリタニア人の少年のようだ。
こんな時間に何をしているのだろうか、少年は黒の騎士団の紋章が入ったファイルを手に、森の中を詮索するよう歩き回っている。
 そんな折、道から外れた茂みの奥に見えた奇抜な色の何かが、少年の足を止めた。
手に持った懐中電灯を向けてみる。
金縁の入った青い軍服に、青緑の髪。赤い羽のバッジを付けた一人の男が倒れていた。
声をかけてみる。動かない。死んでいるのだろうか。
夜の森で不意に出会ったブリタニアの軍人。近付くのも少し怖い。
少年は来た道を真っ直ぐに引き返し、近くにあった軍の施設らしき所に連絡を入れた。軍の施設とはいえいろいろな部署があるが…ここは何をする所だったのだろう。
とりあえず、優良なブリタニア人の少年によって、男は無事保護されることとなった。






 数日後、その森で黒の騎士団による大規模な作戦が展開された。
あの少年はやはり何かを調べていたのだろうか。騎士団の紋章入りファイルを仮面の男…ゼロが抱えている。
そんなゼロを迎え撃つのはもちろんブリタニア軍だ。
 先陣を切るコーネリアのグロースター。後方で待機しているのは純血派機のサザーランドだ。
目の前にゼロがいるというのに、サザーランドは大人しく待機している。いつもの、あの子供のように純粋で真っ直ぐゼロだけを見ていた男の声はしない。
もうこの森に、あの男は…ジェレミア・ゴットバルトはいないのだから。








 それは、一年に一度の特別な日が終わりを迎えようとしていた頃。
冷たい地面の上で薄れていく意識の中、若い男の声が聞こえた気がした。

『大丈夫か?』

そんなことを言われた気がした。
どこか懐かしい声のような…いつしか亡くした大切な人の声に似ていたような…
それからほどなくして、ジェレミアはその意識を消失した。
…数日後には、完全に消失することとなった。

 その若い男が連れて来てくれたのであろう軍の関係者は、動かないジェレミアの体を森の外に運び出した。そして、地下深くに連れられた。



…実験適合生体として。



 深い眠りの中でうっすらと思い出したのは、最期に聞こえたあの若い男の声だった。
どこか覚えのある声。誰の声だったのか、未だそれは思い出せない。
自分を助けてくれた声…。何も良いことが無かった大切な日に、本当の安らぎをくれた声…

 もう二度と誕生日を迎えることのない機械の体が、オレンジ色の液体の中で揺らめいていた。
世界一憎い宿敵に助けられたその命…いや、かつて忠誠を誓い、そして失った皇子に助けられたその命…
最期の誕生日プレゼントは、はたして喜んでくれるだろうか。

 どちらにしろ、ジェレミアがその答えを出すことはない。
誰も知らない暗い研究所に幽閉され、終わりの見えない眠りに身をやつしていたのだから ――――――



 …fin











◆あとがき◆

 えーこのお話…プロットを書いたメモの段階では、もっとネタに満ち溢れたポップな話でした。
…が。
深夜三時、ベッドに寝転び携帯でこの小説を書き始めて二時間後…こんな話になってました(汗)

 まず前半の執務室の下りが、ヒステリー過ぎて笑えませんねぇ。
プロットには【プレゼントは全部オレンジ、薬玉からオレンジが降り注ぎシャンパンならぬオレンジジュースのシャワーが】…とか書いてあったんですがしっかり文に直していくとヒステリーの極みすぎてww
ルルーシュに助けて貰えたのは何よりも嬉しいプレゼントだったのか、それともゼロに助けられたのは何よりの屈辱か…この表裏一体をテーマにしたお話にするはずが、いつもの寂しいお話ができあがってしまいました。
そして、あまりにも当初とイメージ変わりすぎちゃったのでタイトルも変わりました。

 「最期のBirthday」…いかにも切ないタイトルですが、最期にはいろんな意味が込められています。もちろん一日の最後に貰ったプレゼントでもあり、人間としての終わりを迎えた最期でもあります。
ジェレミアは機械になっちゃったのでもう年を重ねることもなく、故に誕生日も意味をなさなくなりました。
だから、年を重ねたお祝いとしてのプレゼントは…これが最後になったわけであります。
これからも永遠に8月2日を迎え誕生日はやってきますが…それは形式上の誕生日でしかありませんから。

ごめんねジェレミア。こんなプレゼントで。
これがQ.o.c.k.からの誕生日プレゼントだよ…