私はジェレミア・ゴットバルト。
爵位は辺境伯、名門ゴットバルト伯爵家の出身で、帝立コルチェスター学園を経て王宮警護の任に付き、やがてブリタニア軍内に純血派を結成した。さらには、エリア十一の代理執政官の座も獲得。
ナイトメアにも乗れるし優秀な部下もたくさん抱え、侯爵の未来もすぐそこに見えていた…のだが。

一体何がどうしてこうなってしまったのだろう。
言われのない汚名を着せられ、私は今、暗く冷たい地下牢にたった一人幽閉されている。



 …それは数日前、政庁の廊下で突然起こった出来事だった。
枢木スザク強奪事件が終わり、キューエルを筆頭とした集団暴行も終わり、私はある理由から特派を訪れていた。己の非を認め、枢木スザクに謝るためだ。あれは確かに私が悪かった。純血派の躍進と己の出世に枢木スザクを利用したのだから。
しかし訪れた特派に枢木はおらず…。仕方なく部屋を飛び出したら唐突にギルフォード卿が寄ってきて、『ジェレミア・ゴットバルト君。ご足労願おうか。手錠付きで、恐縮だが』だとぉぉ?
私の両手首は冷たい金属で繋がれ、体は否応なしに長い廊下をずるずると引きずられ、そして今に至る――――――


【一日目】
連れてこられた先は、太陽の光すら届かない暗く冷たい地下牢だった。
私は辺境伯だぞ…こんなところに閉じ込められるのか…?
人生において、縁もゆかりも無いと思われた監獄。
貴族の貴の字も感じさせない独房。
戸惑い。認めたくない。何故だ。
その現実から目を背けていると、いきなり左肩に羽織っていたマントを引っ剥がされた。
『君は今日からここの住人だ。囚人にマントは不要だな。それから、その軍服も着替えてもらう。』
表情一つ変えないギルフォード卿が差し出したのは、ベルトが付いた白い服と白い靴。ブリタニアで共通の男子拘束服だった。


【二日目】
 囚人生活がはじまった。
ここでの生活は、かつての私からは考えられないほど質素で低俗なものだった。
 まず空調が一切効いていない。コンクリートに囲まれた独房の中は凍えるように寒かった。
床の上には分厚く積もった埃。舞い散る埃を吸い続けて、時折喉がむせかえるように苦しい。
片隅には無機質なトイレがひとつ。宮殿の広いトイレを知っているだけに、なんだか独房そのものがトイレの中で、トイレで生活しているみたいだ。嫌な匂いがしないことだけが唯一の幸いか。
食事は一日三回。量は少なく質も悪い。内容も薄い。もちろんメニューは選べない。
シャワーと下着の交換は三日に一回、着替えは週に一回だけ。どれだけ汚してもその日が来るまでは脱げない洗えない。ベッドはもちろん、布団も無い。あるのは薄汚い毛布一枚だけ。寝るのは固く冷たい床の上で寒さに震えながら。
 …こんな生活がいつまで続くのだろうか。
ギルフォード卿曰く、『さっさと白状すればすぐに解放してやるが。』だと?
…だから、私は何も知らないのだ!


【三日目】
 『誤解です!私は、オレンジなんて知りません!』
薄暗い取り調べ室で、声の限りに訴えた。
知らないものは知らない。分からないものは分からない。
オレンジ疑惑? 何のことだ。私は知らない。濡れ衣だ。罠だ。私は嵌められたのだ。
私は嘘など言っていない…!
必死に、涙ながらに訴えたのだが、ギルフォード卿は何も聞いてくれなかった。


【四日目】
 拘束服に縛られ続けて四日が過ぎた。
体が痛い。空調の効いた部屋で、優雅な服を着て、広いベッドでゆっくり眠っていた毎日が嘘のよう。
コンクリートに囲まれた狭い空間は凍えるほどに寒く、そして埃っぽかった。先日から取り調べ室で声を上げた所為もあってか、喉が痛くて息が苦しくなった。だけど、ろくに水も与えられなかった。薄い拘束服は寒さも和らげてくれない。そして、固く冷たい床に身を横たえ、眠らなければならない。というよりほとんど眠れなかった。
環境の悪さというよりも、未来が見えなくて、不安だった。


【五日目】
 看守が食事を持ってきた。…が。
何だこれは!
皿の上に乗っていたのは大嫌いな食べ物《オレンジ》が一個だけ。そして水の入ったコップが一杯、謎の錠剤が数粒。
『ギルフォード卿からのご命令だ。お前の食事は今日から毎食オレンジだけとなった。栄養源としてサプリメントを服用するように。
なお、オレンジのおかわりは自由だ。ただし普通の食事が取りたかったらオレンジとは何なのかさっさと白状することだな。』
冷たい視線を私に向けると、看守は床に皿を置いてつかつかとその場を後にした。
 鉄格子の向こうに置かれた一つの果実。
手を伸ばせば簡単に届く。
だが、私はそれに手を着けるのをやめた。
これを食べたら私がオレンジだと認めたみたいじゃないか。私はオレンジなど知らない。私は、オレンジなど食べない。


【六日目】
 さすがに丸一日何も食べずに水だけというのは辛かった。
だが、今日も看守が置いていったのは例の果実だけだった。
意地を張って、にこのまま何も食べずにいたら死んでしまう。
でも…こうして拒否し続けたら何か違うものが出てくるかもしれない。仮にも私は辺境伯…辺境伯を餓死させるような真似はいくら何でもしないだろう…というかそもそも囚人の扱いとして…
自分でもよくわからない理論と期待を胸に、今日も看守は手付かずのオレンジと空のコップを片付けていった。


【七日目】
 今日でちょうど一週間だ。今の心境は…《オナカスイタ》。
二日間水だけとか…我ながらよく頑張ったものだ。
しかしさすがにやばいぞこれは…。
毎日美味しいものを食べていた頃に比べて、体重は何キロ減っただろうか。
この埃だらけになった拘束服も最初に着たときより緩く感じる。
体に力が入らない。頭がボーっとする。
今の自分は、いったいどんな病人の顔色をしているのだろう…。
 落ちてくる瞼と焦点の合わない視界に、ふと見覚えのある顔が写った。
『あはぁ!ジェレミア卿こーんーにーちーわー!』
それは、学生時代私を散々苦しめた問題児、ロイド・アスプルンドだった。
こんな私を笑いにきたのか。こんな私を蔑みに来たのか。迷うことなく背中を向けた私だったが、背後から香り立つ食べ物の匂いに、思わず振り返らずにはいられなかった。 白飯。海苔。…おにぎり!
ロイドが床に置いた皿には、夢にまで見た普通の食事が乗っていた。
『ロイド…これは?』
『あは。差・し・入・れ。ジェレミア卿、食欲無くて二日間何も食べてないって聞いたからこんなの持ってきてみました。』
あのロイドが。私を気遣って食事を持って来る。かつての学生時代からは想像もつかないような出来事だった。
ロイドが他人を気遣うなど…こいつも成長したのだな!私は疑いもせずにそのおにぎりを口に入れた。
…が、相手がロイドだということをもっと重く捉えるべきだったのだ。

 じゃむ。くりーむ。うこん。

なんだこれは。
とても言葉で表せないような気持ち悪い味と食感が口の中を駆け巡った。吐き出すか流し込むかしてさっさとこの味を追い出したいというのに、水が無い。他の食べ物ももちろん無い。
トイレの…待て待て待てこれは水だが水ではない…!
空腹で、減りに減った体力、そこへやってきたこの攻撃。
 肝心のロイドは、というと、そんな私を嘲笑うでも助けるでもなく何やら冷静にメモを取っていた。
(二日間水だけ男、極度の空腹状態でも食べられないセシルくんの料理…っと。)
…なんて独り言が聞こえてきた。結局は実験だったのか。私はロイドの研究に使われたのか。
何食わぬ顔で去っていく確信犯。入れ違いにやってきた看守。
今日も置かれた一つの果実を、私はとうとう口にした。


【八日目】
 吹っ切れた、とでも言うべきか。あれ以来、看守が持ってくる食事に毎食手を付けた。
もちろん好きで食べているわけではない。「食べたくない」が本音だ。だが、いくら折れてもどれだけ待っても普通の食事が出てくることはなかった。
知りもしない、「オレンジとは何なのか」を話すまで、この食生活は終わらないらしい。

 気づけば寒いのも埃っぽいのも固い床も、何だかすっかり慣れてしまった。
もちろん、貴族の生活を思い出すと辛くなる。恋しくなる。
毎日取り調べで声を上げて否定し続けて、だけど信じてもらえない。
一体こんな生活はいつまで続くのだろう。知らないものは知らないのだが…言い続ければいつか分かってくれるだろうか。


【九日目】
 予想もしていなかった男が面会にやってきた。
…枢木スザクだ。
 わずか数日前と、完全に逆転した立場。
私は檻の中。拘束服を着せられ、食事も自由も与えられず。
奴は檻の外。白カブトに乗って世界を自由に駆け、コーネリア殿下の元で准尉に特進したと聞いた。
天と地。私にとっても、枢木にとっても。
出世という天に登りゆく枢木。誇りを失い地を這う私。
たが、奴は私を罵るでもなく、嘲笑うでもなく、あろうことか気遣いの言葉を口にした。
私は貴様を利用したのだぞ? 拷問して、拘束して、命までもを奪うつもりでいた。
それなのに何故…!
優しくされるたびに、己の不甲斐なさを呪った。
そして、結局謝罪もお礼も口にできないまま、面会の時間は終わりを迎えてしまった。私は…どうすれば…。


【十日目】
 今日面会に現れた男を見て、私は朝からげんなりした。
キューエル・ソレイシィ。一番会いたくない男だ。
こいつは部下だが、正直なところお互いに上下関係の認識は無いだろう。
私を殺そうとしたぐらいだ。私が憎くて仕方がないのだろう。
たしかに純血派の凋落は私の責任だ。だがその理由であるオレンジを、私は知らない…。

 キューエルが持ってきたのは朝食だった。その後も、昼食・夜食と丁寧に運んできた。
どういうわけか看守は来ず、毎食キューエルが時間きっかりに現れた。
…今度こそ私を殺すべく、毒でも仕込んだか?
それが怖くて、私は一日水も食事も撮れなかった。


【十一日目】
 取り調べ室に出向くと、ギルフォード卿から衝撃の事態を聞かされた。
『私は本日より、長期の出張へ赴く。それ故、君の担当官はこの男に変更となった。君のことをよりよく知っている者のほうが適任であろう。早くオレンジの真意を白状することだな。』
この男と称された人物は、私の一番会いたくない人間だった。
 キューエル・ソレイシィ。
一体どんな経緯でこうなった…何故部下から取り調べを受けねばならんのだ。
私がもやもやしている横で、キューエルは嫌みな笑みを浮かべていた。
そして、ギルフォード卿去りし後、私の口からは声にならない悲鳴が漏れた。


【十二日目】
 独房に現れたのは担当官キューエルだった。
キューエルが持ってきた食事には手を付けない。…これが面白くなかったのだろう。
 キューエルは私の前で朝食のオレンジの皮を剥き始めると、瑞々しい果実を美味しそうに齧り、安全をアピールした。
そしてその残りが私目掛けて投げつけられた。
コップの中身にもちょっぴり口をつけ、残りは床へと静かに置かれた。…オレンジジュースの入ったコップが。
床に転がり埃まみれになったオレンジと、奪われた水。変わりにやってきたオレンジジュースと非道な鬼。
しばらくはこの《さらに酷い》食生活が続きそうだ。
私はもう水すら手に入らないのだろうか…。


【十三日目】
 今日もキューエルが食事を持ってきた。だが、いつもと違ってその手には何やらダンボールが…。
嫌な予感は的中した。その中身は大量のオレンジだったのだ。
まるで的当てゲームのように、狭い独房内を逃げ回る私目掛けて固い果実が投げつけられた。
皮や枝葉がついたままのオレンジは固く、そして痛い。
衰弱し、機敏に動けなくなった私は当てやすい的だったろう、八割の命中率を維持し、そしてダンボールは空っぽになった。
 床に散らばった大量のオレンジ。
…皮を剥けば埃だらけじゃないだけマシなのか?


【十四日目】
 新手の拷問が始まった。
どういうつもりかいきなりキューエルが鉄格子を開け、中に入ってきた。
普段独房内では解放状態にある拘束服のベルトが固く締められ、さらには椅子に磔にされた。
動けない。手も足も。唯一動くのは首の角度だけだ。
 そんな私の横で、あろうことかキューエルは食事を取り始めた。
それも、私の食べるオレンジづくしのメニューではなく普通の、人間らしい食事を!
私はどこも痛くない。オレンジを投げつけられたり、していない。
それなのに、心の奥が激しく痛んだ。
 忘れていた、当たり前の食事。
忘れることで耐えてきた。忘れているから我慢も続いた。
一度欲を取り戻すと押さえられない衝動に駆られる。しかし現実は動かない手足なのだ。
喘ぐ私を楽しそうに見つめながら、キューエルは料理を綺麗に平らげていく。
そして、椅子と拘束状態もそのままに、キューエルはスタスタと去っていった。
…キューエルぅぅぅ!
 動けない。美味しい食事どころかオレンジも食べられない。何より目の前にあるトイレが使えない…
このまま漏らせというのか。どうせそんな無様な私を見て冷笑する魂胆であろう。
必死に声を上げるも、誰も来ない。
必死に上半身を揺すったら、椅子は真横にバタリと倒れた。もちろん私の体とともに。
倒れた拍子に床で左肩を強打した。
それでもやはり解けない拘束。近くて遠いトイレ。
うわぁぁん。
 …キューエルの思うつぼだった。諮ったかのように現れるキューエル。嘲笑に満ちた声が大きく響き渡り、私は思わず目を逸らした。ただ唯一、今日が着替えの日で本当に良かった…


【十五日目】
 今日も憂鬱な取り調べが始まった。
担当官キューエルは本気で私を殺すつもりだろうか。面白がっているだけだろうか。
その尋問は、明らかに尋問の領域を越えていた。
 手足を縛られ、椅子に座らされた私を取り囲む四人の男…見たことのある顔ばかりだ。
無理もない、皆私の部下たちなのだから。
 キューエルはなかまをよんだ。
 たいいんAがあらわれた。
 たいいんBがあらわれた。
 たいいんCがあらわれた。
…といったところだろう。もう面白いことでも考えないとやっていけない。敵の増援部隊が…なんて言い方をしたらそれだけで怖い。
だが、脳内妄想で頑張ったところで現実はどう補完しても《面白くない》のだ。 先陣を切ったのはキューエルの足だった。
椅子の脚が蹴り飛ばされ、私の体は固い床に投げ出された。
うつ伏せになって倒れた私の背中に次々と痛みが走る。踏まれ、蹴られ、転がされ、抵抗のできない私を彼らはオモチャのように弄ぶ。
髪を掴まれ、思い切り引っ張られ、そして床に叩き付けられて。
「や…やめろ、キューエ…あああああ!!!!」
 …もう、口を挟む余地すらない。私がここでオレンジとは何かを話しても聞く耳を持たなさそうだ。
私をいじめて、楽しいのか。
私の悲鳴がそんなに快感か。
そんなにも私が憎いのか。
様々な意味を背負った涙が、両目にたっぷりと溜まっていた。


【十六日目】
 また今日も独房の中にキューエルが入ってきた。近くて遠いトイレの刑だけはやめてほしい、ただそれだけを祈っていた私の考えは甘かった。
思えばキューエルは毎日違う方法を使う。バリエーションが豊富なのだ。

 中にやってきたキューエルは、突然私の体の上に馬乗りになり、目一杯体重をかけて抵抗という名の反撃を封じた。
と、そこに隊員A登場。抱えたダンボールに入っていたのは…大量のオレンジジュースだった。
頭の上から降り注ぐオレンジジュースの雨。自分たちの足元が濡れることなど気にもかけずに、ペットボトルを何本も開けてはすぐ空っぽになっていった。
ずぶ濡れになった私。床の窪みには大きなオレンジ色の水溜まりが出来ている。二人は、ジュースで汚れた靴を部屋の隅に片付けてあった毛布で拭いて、空のボトルを蹴りながら楽しそうに去っていった。
 …とうとう寝るところも奪われてしまったらしい。
部屋中に立ち込めるオレンジの香り。冷たく濡れた服は、湿った毛布では乾かない…着替え…まだあと五日もあるのか。

その夜、眠れぬ私は朝まで泣いた。


【十七日目】
 泣き疲れて眠っていたようだ。膝を抱えた姿勢でふと目を覚ますと、鉄格子の向こうに級友がいた。
『ジェレミア卿ぉ〜、大丈夫ですかぁ?』
私が目を覚ますまでずっと待っていてくれたらしい。ロイドにしては奇跡のような優しさだ。だがロイドだということがその優しさを素直に受け止められない。
『ジェレミア卿ずいぶん痩せちゃって…。僕ね、学生の頃、ジェレミア卿のこと面白い人だなって思ってました。だけど今は違うの。今は、可哀想な子。
僕もね、部下によく殴られるから、ジェレミア卿のお気持ちは分かるんですよぉ!』
私は敢えて何も言わず、目も合わさなかった。
 『この前のおにぎりのこと謝るから、僕のとっておきのプリンをあげようと思って。』ロイドが懐から取り出したのは、市販のラベルが付いた未開封の高級プリンだった。
夢にまで見たまともな食事。オレンジ以外の味。
…食いつかずにはいられなかった。プリン一個でロイドに懐柔されるのも癪だが、それ以上に今はまともなものを食べたい。
全く乾いていない服の裾からオレンジジュースを滴らせながら、私はロイドの元に駆け寄った。
 鉄格子の隙間から差し出された、高級プリンとスプーン。
今まさに我が手に落ちようかというところで、私の夢は終わりを迎えた。
『ロイド伯爵、勝手なことをされては困ります。このプリンはお返しします。』
プリンをロイドの手に戻した鬼の正体は言わずもがな、プリンごとロイドはその場を追い出され、私の元にはオレンジとオレンジジュースだけが残った。


【十八日目】
 今日面会にやってきたのは、クロヴィス殿下の追悼番組を作ったテレビプロデューサーのディートハルト・リートだった。
この男、私が代理執政官のときは『閣下』などと呼んで媚びまくっていたが、例の事件で私が表舞台から姿を消したと見るや途端にカメラを持ち込まなくなった。
それが今更何の用だ…
「ご無沙汰しておりますジェレミア卿。…ずいぶんとお変わりになられたようで。」
ディートハルトは鉄格子の向こうから、淡々とした口調で言葉を投げかけてきた。
それは私が痩せ細って拘束服を着た惨めな格好をしている件か。それとも地位や立場の話か。どちらにしろ不愉快な再会となったことは言うまでもない。
「私が今日ここに来た理由ですが、決してジェレミア卿を笑いに来たのではありません。例の事件のことで、お聞きしたいことがありまして。」 ディートハルトはおもむろに鞄から写真を数枚取り出すと、床に並べて私に見せた。
それは、あの忌々しい枢木スザク強奪事件での私だった。
ゼロが写ったものもある。
「この時、ゼロと何か裏取引のような話をしておられたようですが、この件に関して…」

…それは私自身も知りたい!
 結局、暴行されないだけで言っていることはキューエルやギルフォード卿の尋問と同じではないか。
味方部隊を抑止しゼロを見逃す私の写真など見たくもない。大体私は何故あんなことをしたのだろう。
ゼロゼロゼロとその名前を口にしやがって。
ゼロの登場シーンについて語られても私は憎いの一言しか返さんぞ。
 私が使い物にならないと見るや、さっさと写真を片付けてテレビ屋は去っていった。全く。不快なものを見せられただけだったな。せめて何か美味しい差し入れがあればよかったのに。


【十九日目】
 ここは窓一つ無い地下牢。外の明るさも天気も私には分からない。
唯一、廊下にかかった時計が見えるだけで、それ以外のことは何もわからなかった。
 時は夜の九時。もうすぐ消灯時間だという頃に、突然拷問官が現れた。
キューエルを筆頭によく知る連中合計四人。
唐突に両手に手錠をかけられると、両脇を固められ外の世界に向けて歩かされた。
一体何がどうなっているのだ。四人とも大人しいし、手錠付きとはいえ私自らの足で外の地面を踏みしめているなど…。

 立ち止まったのは、表から目立たない庭の片隅だった。こんな場所に何があるというのだ。
きょとんとしていた私の背中がいきなり蹴りつけられ、口にガムテープを貼り付けられた。手錠はそのままに、今度は腕ごと体をぐるぐる巻きに縛られる。もちろん足も封じられた。もう歩くことは無いのだろう。ということはこの場で…
 ここにきて、ようやく今日の拷問はこれなのかと気づいた。
ふと上を見上げると、体を縛ったロープの端が、高い枝に引っかけられている。
もう未来は見えたも同然だ、間もなく私はこの庭の隅にある木に吊り上げられた。
結構高い。地面が遠い。
ロープの先を木の幹に固定すると、キューエル達は一歩下がって私を見上げた。
『オレンジ。我々を見下す気分はどうだ。』
私は見下してなどいない。当然だが分かっていることだ。それを敢えて皮肉っぽくぶつけてくるのがキューエル・ソレイシィという男なのだ。
 連中の足元には見覚えのあるダンボール箱。さらに予想は固まっていく…。吊られた私に向かって投げつけられるオレンジ。打率十割、動けない私はさぞ楽しい的だろうな。
顔に、体に、固い果実が思い切り投げつけられる。ダンボールが空っぽになると、今度は辺りに落ちていた小石が飛び始めた。
オレンジの時より痛い。
激しい拷問。
誰か、助けて。
やがて飽きたのだろう、またまた私を放置したまま四人はその場を去っていった。
夜の庭の片隅で、宙吊りのまま放置された私は、もちろん眠ることなどできなかった。口も開かず声も出せない私に与えられたのは、ただ涙を流すことだけ。

 ぽつぽつぽつ…
雨が降ってきた。冬の枯れた木が雨宿りになるわけもなく、頭上から大粒の雨が容赦なく降り注ぎ、強い風は髪を乱しながらロープをフラフラ動かした。風に揺られる私は一体どんな顔をしているのだろうか。
涙は雨に混ざってかき消され、とうとう私に出来ることが全て無くなったのだから。
それでも心は涙を止めない。むしろますます早いペースで小さな雫が製造されている。

―――― !

 突然、私を支えていた枝が折れた。
数メートルの高さから引力に従って落とされた私の体は、雨で出来た大きな水溜まりに触れて飛沫を上げる。
辺りに散らばったままのオレンジ。
私は今、オレンジの中にいるというのか。
無数のオレンジに囲まれているのか。
 必死に体を動かした。芋虫のように体をくねくねゴロゴロと地面を転がりながら、何とかこのオレンジから脱出できないか試みた。
大きな水溜まりに顔を沈める。せめて息苦しいテープだけでも剥がれないものかと、意地も矜持も何もかも捨てて試行錯誤した。しかし、いろんな形で様々なことを試みるも、無駄な努力だったらしい。
体中が泥で悲惨に汚れただけ、オレンジもガムテープもロープも何一つ変わることなく虚しさを強く植え付けただけだった。
雨はまだ降り続いている。仰向けになって、希望を無くした私の顔に冷たい雨が打ちつけた。

 翌朝。夜明けと共にひっそりと現れたキューエルは、強く貼りついたテープを思い切り引っ剥がすと、来た時と同様に私を独房まで連れ戻した。
汚れた体に触るのが嫌なのだろう、背中や腰を蹴って私を一人で歩かせながら。
いっそ違う所に行ってやろうかとも思ったが、逆らうと今度は何をされるのか分からず、出来なかった。
外は寒い。もう逆らう気力も無いし、体力も限界だ。一晩経って戻ってきた独房の中が、何故だか穏やかで過ごしやすい空間に見えた。


【二十日目】
 今日はヴィレッタが面会に来てくれた。
どうせなら美味しい食事の差し入れが欲しかったがそこまでは叶わなかったようだ。
だが、何故だろう…ただ来てくれただけで果てしない喜びを感じた。
今の私に与えられた幸せは、こんなにもささやかなものなのか。

 昨日のこと、一昨日のこと、その前のこと。思い出し、泣きながら話す私の愚痴を、何も言わずに黙って聞いてくれた。
雨風に乱れた髪を、泥水に濡れた肩を、そっと撫でてくれた。
ありがとうヴィレッタ。今の私には、もう何もしてやれないが。
不甲斐ない上司で、本当にすまない。


【二十一日目】
連日続く拷問。泣いて、叫んで、訴えて、私の喉はとっくに限界を迎えていた。
もう声も出ない。訴えたいことは山のようにある。思い切り泣き叫びたい。そのどれもが叶わなくなっていた。
そんな私の元に、今日も彼らはやってきた。
 「…オレンジ。」
もはや私は名前で呼ばれることも無くなっていた。だが、連日続く地獄のような拷問に比べれば、そんな言葉の暴力ぐらい平和に思えてならない。直接痛いのに比べたら…。
 「貴様に是非とも見せてやりたいものがあってな。」
隊員Aは唐突に話を切り出した。
何だ。またオレンジでも見せに来たか。だが私はもうその程度では屈しないぞ…!
「貴様は我らを裏切った。純血派は…偽りの集団だ!」キューエルが懐から取り出したのは、私の軍服に付いていたはずの純血バッジだった。
そのバッジは、純血派の証。私が築いた、皇族に忠誠を誓った者の証…。
「貴様のような裏切りオレンジの分際で、忠誠などと!」
蔑むような鋭い瞳で私を睨むと、キューエルはバッジを思い切り地面に投げつけた。
「汚点は処分しないと、な!」
そして、力を込めて踏みつけた。

パキッ――――――
キューエルの足元から、乾いた音がした。
そして、声にならない悲鳴と、一筋の涙が落ちる音もした。
やめろ。やめてくれ…。
…キューエルぅぅぅぅーー!
 無論、ここで引き下がるキューエルではない。一度踏むだけではまだ飽きたらず、爪先は何度も床へと落とされ、大切なモノは粉々に踏みしだかれていく。笑い声とともに。他の隊員たちも皆同じだ。自身の服に飾られていた赤い羽を乱雑に毟り取っていく。
両手で力一杯へし折られたもの、固い靴底に擦り潰されたもの、どれもみな原型を失って鉄格子の向こうで無残に捨てられていった。
「見せたかったのはこれだけだ。じゃあな。」
楽しそうに、キューエルは背中を向けて手を振った。
(ところで燃えないゴミいつだっけー?)
(知らねー。)
(もっと細かく砕いてオレンジに食わせて処分するのどうだ?)
燃えないゴミと称された純血派の証を残したまま、元部下たちは談笑しながら去っていった。

 必死に手を伸ばした。鉄格子の向こうへ。
届かない…嫌だ…あれは、私の…

埃と泥に汚れた掌は、ようやく小さな破片を掴み取った。それは、偶然にも私がずっと使ってきた忠誠心の残骸だった。
ゴミなんかじゃない。これは、私が築いた純血派の証…。

 …心は簡単に抉られるものだな。
強がっていた私が馬鹿だったのだ。
体はどこも痛くないのに。オレンジの香りもしないのに。寒くも冷たくもないのに。

 …いっそ、殴れ。
 …まだ、その方が耐えられるから。
 …心は…保たない……

壊れた喉は痛さも忘れて悲鳴を上げ、泣き止めぬ両目は赤く充血して焦点を見失っていた。


【二十二日目】
昔から《拷問の定番》というやつがある。
走る馬にロープで繋がれ、街中を引きずり回されるのだ。
歴史の授業で学んだ話だが…まさかこれをナイトメアフレームでやるヤツがいるとは思ってもみなかったよ…!

 それは今から一時間前のことだ。
キューエルはまた私をぐるぐる巻きに緊縛し、独房から連れ出した。そして、施設の外に出たのだ。
いくら担当官だからといって、囚人を連れ出してはいかんだろう。…なんて捕らわれの私が言うのもおかしな話だが。こんな大胆なことをして、キューエルが何を考えているのかと思うと、独房で大人しくオレンジを口にしていた方が平和に思えるのだ。
 辿り着いた先は、数年前に閉鎖したスタジアムの跡地だった。中に通されると、そこには一機のサザーランド。もしやナイトメアに踏まれるのかと死刑を垣間見たが、現実は即死よりも辛い、長く痛い拷問の幕開けであった。
 私を縛っていたベルトの先が、コクピットブロックの下に固定された。だが、ベルトの長さからして宙吊りの刑ではない。
わざわざパイロットスーツに着替えてきたキューエルが颯爽と操縦席に乗り込み、ナイトメアが起動すると、私の体は一瞬にして地面と平行になった。
スタジアム内をすごい早さで駆けるサザーランド。その機体に繋がれて、私は地面を引きずられたのだ。
脇から楽しそうな声が漏れている。バッジを破棄した元部下たちの黄色い笑い声だ。
 固い地面の上をズルズルと引き回される私。ランドスピナーが跳ね上げていく泥飛沫と舞い散る土埃で息をすることもままならない。口の中には土の味が広がり、そして血の味へと変わった。
当然だが切ったのは口の中だけではない。
昨日ようやく着替えたばかりの服は土に擦れ、破れて、汚れに混じって赤い色が点々と滲んでいた。
体中が痛い。心を抉られた昨日も辛かったが、それに匹敵する程に壊れた喉が悲鳴を上げた。
ナイトメアフレームはもともと戦争の道具だ。武器こそ振るわれることは無かったが…こんな惨い使い方、私なら相手がイレヴンでもやらないぞ。
 キューエル・ソレイシィ…この寒空よりも遥かに冷たい、氷のような男だ…こんな男を部下に取り立てていたのか、私は。
コクピットから降りてきたキューエルは、予想通り傷ついた私を満面の笑顔で見下した。そして、見ていただけの隊員たちも合わさって、ヒリヒリと焼けるように痛い傷口をこれでもかと蹴りつけられた。今度は人の足で地面を転がされる。私に抵抗する術はもちろん無く、誰もいない深夜のスタジアムで、複数人による拷問と言う名のいじめが数十分間、彼らが飽きたところでようやく終わった。

 体中が擦り傷だらけ。痣もあちこちにできた。服はボロボロで泥まみれ。
綺麗に洗って消毒して、傷の手当てを…してくれるはずがないな。
独房への帰路をフラフラの足で歩かされながら、私はそんなことを考えていた。
乾いた地面に大粒の涙をポロポロと零しながら。


【二十三日目】
 浅い眠りを切り裂くように、廊下を歩く一つの靴音が聞こえた。
キューエル。今日は何をするつもりだ。
恐怖に怯える私の名前は、意外にも嬉しい言葉で呼称された。
「ジェレミア・ゴットバルト君。」
…オレンジじゃ…ない?
もうすっかりオレンジに慣れてしまった所為か、その名前が酷く懐かしかった。そうだ、私は…ジェレミア・ゴットバルトだったな…。
そして、この名前が使用された理由。顔を上げた先に立っていた人物は、出張に出かけたはずのギルバート・G・P・ギルフォード卿だったのだ。
「…ギルフォード卿! どうして…?」
「こちらの件が予定より早く片付いたのでな。今日からまた私が君の担当を務める。」 担当が変わる。それは、あの鬼がいなくなるということ。
あの地獄のような毎日から解放されるということ。
私は思わず手を上げて喜んだ。
「喜ぶな。まだ釈放が決まったわけではない。それより、その傷はいったいどうした…?」
 私は、ギルフォード卿に全てを話した。
釈放されないのは分かっている。それでも喜ぶ《理由》を。


【二十四日目】
 少し清潔になった。
あまりに泥だらけだった私を見兼ねて、ギルフォード卿が着替えを持ってきてくれたのだ。
さらに、固まった血と土埃で汚れていた傷口も綺麗に洗って、状態の酷い場所には薬も塗ってもらえた。
体中が包帯と絆創膏だらけだ。
先日のナイトメアの分も、それ以前の分も、全部が手当てされ、狭い独房の中は薬品の匂いで満たされた。
改めて思う。あの鬼が付けた傷はこんなにも多く、そして深かったのだと。

 ここは監獄。私は囚人。
それでも幸せに感じられた。…不思議なものだ。
キューエルがいない。ただそれだけで。


【二十五日目】
 取り調べ室にやってきた。
手錠は掛かっているものの、大人しく椅子に座り穏やかな口調で話が進んだ。
ギルフォード卿、やはり違う。あの鬼と全然違う。
「ジェレミア君。君はゼロもオレンジも知らないそうだが、まだ白状する気は無いかね?」
「白状も何も、私はオレンジなんて知りません! 全て、ゼロに嵌められたのです!
私は…私は…」
掠れた声で必死に訴えた。
私をジェレミアと呼んでくれたギルフォード卿、話を聞いてくれたギルフォード卿、傷口を手当てしてくれたギルフォード卿、お願いだから分かってくれ…!
「…うーむ。君はキューエル卿にあれだけ暴行されても白状しなかったそうだな。
ゼロに嵌められた、か。少し調べてみることにする。真意がはっきりするまではまだ囚人でいてもらうぞ。」「…イエス、マイロード!」

 話を聞いてもらえた。
ゼロのことも調べてもらえるそうだ。
淡い期待を抱くとともに、体中に負った傷の痛みが少し和らいだ気がした。


【二十六日目】
 今日も私の名前はジェレミアと呼ばれた。
ギルフォード卿が様子を見に来たのだ。
「君に一つ報告がある。先日君から聞いたキューエル卿の件だが、法の領域を超えた拷問、私怨による暴行が複数確認された。
これにより、キューエル卿は軍籍を剥奪、免職処分が決定した。
彼の指揮の元で動いていた隊員三名にも何らかの処分を検討中だ。
部下を奪うような形となってしまったが、君もそれで異論は無いだろう。」

 …鬼がいなくなる。
なんて素晴らしいことなのだろう。
 …キューエルがいなくなる。
もうあんな酷いことをされなくてすむ。
 …部下がいなくなる。
部下…部下?

 キューエル…そうだ。昔は良き部下だったのに。ヴィレッタに継いで、二番目に優秀な部下だったのに。
どうしてこうなってしまったのだろう。

 私が悪かったのか。私の所為なのか。
私が、不甲斐ない上司なばっかりに。
私が、ゼロにまんまと騙されあんな愚行を犯したばっかりに。

「ギルフォード卿…。」
去りゆくギルフォード卿の名前をぼそりと呟き、呼び止めた。
「…キューエルを、ここに連れて来ていただけませんか。」
ギルフォード卿は驚いたような顔をして、それでもゆっくりと首を縦に降った。


【二十七日目】
 鉄格子を隔てて、私は再び彼と顔を見合わせた。
元拷問官は相変わらず冷たい目で私を見ては、ふと目を逸らして笑い出した。
「…ハハッ。馬鹿な話だよ。貴様の担当官になって、貴様の口を割らせようとしたばっかりに。
…貴様の所為で私は免職だ。笑うなら笑え。その為にわざわざ呼び出したのだろう?」
 キューエルに言いたい文句は山ほどある。よくも私にオレンジをぶつけたな! とか言い出したらキリがない。きっと明日の朝までかかるだろう。
だが、もう二度と会えなくなるのなら、どうしてもこれだけは伝えておきたかった。
「…すまなかった。」と。

「??!」
キューエルは予想通り狐につままれた顔をしてこちらを振り向き、そして口をポカンと開けた。 私は思うのだ。…キューエルがここまで冷たくなってしまったのは私の所為ではなかろうかと。
私が、枢木スザク強奪事件の後凋落していく純血派の現状を認めながらも、キューエルをはじめ部下たち全員に一度も謝らなかった。
ゼロを探せゼロを捕らえろと手配書を配り、命令だけして威張り散らしていた。
皆が身を置く純血派という派閥を立て直すことより、ゼロを見つけ捕らえることしか頭に無かった。
「…だから。」


「…フン、くだらない。」
少しの沈黙を挟み、キューエルはそう吐き捨て去っていった。
やはり、もう分かり合えることはないのだろう。
私が拘束されている時点で、もうあの頃には戻れないのが明白だ。
…懐かしいな。皆で仲良くオールハイルブリタニアを歌っていたあの頃の純血派が。監視として隣で状況を見ていたギルフォード卿も、こちらを一瞥して無言のままに去っていった。


【二十八日目】
 過去。純血派。懐かしい話だ…。
傷の回復は順調。服も体も清潔になって、まともな食事も口にできた。髪型も少しは直したし、部屋に立ち込めていたオレンジの香りももう消えた。それなのに…。
 …ふと気付くと、私の頬には一筋の涙が流れていた。
最も、数日前のような壊れた喉で泣き叫ぶようなそんな涙ではない。
あの頃のキューエルを思い出すと、無為に涙が溢れてきたのだ。
いがみ合って、散々喧嘩して、それでもいざとなると大いなる力となってくれたキューエル。
私の片腕として、実践でも机の上でも様々なサポートをしてくれたキューエル。
それが私の所為であんなことになって…キューエルの人生まで壊してしまって…惨い形で心も体も殺されそうになったというのに、もう会えなくなるのかと思うと何故だか涙が止まらなかった。


【二十九日目】
 「君に、面会の希望が来ているのだが、会うか?」
ギルフォード卿が唐突に切り出したその面会の相手。それは、左胸に赤い羽のバッジを抱いた元拷問官キューエル・ソレイシィだった。
「オレンジ。いや、ジェレミア卿……。

…すまなかった!」
突然頭を下げてきたキューエルに、今日は私が驚かされる番であった。
「あんな事をして、許されるとは思っていない。どんなに謝っても、許してもらえないだろう。
それでも、私は本当は、帝国を愛し、皇族に忠誠を違うジェレミア・ゴットバルトの元で働きたかった…!
…今日付けで私は軍籍剥奪となる。
もう会うこともないだろう、私に変わってブリタニア帝国への忠誠を貫いてくれ。」キューエルは左胸に手を当てると、一筋の涙を零しながら証を外して鉄格子の向こうへそっと差し出した。

 キューエルは…ずっと持っていてくれたのか。
私の忠誠を疑って、私のバッジを粉々に割ったのは、己の忠誠を貫くためでもあったのだろう。
私という汚点を排除し、本当にブリタニアを愛する者だけの純血派を作ろうとした…
「…ギルフォード卿。」
差し出された手はそのままに。不意に呼びかけられたギルフォード卿は、固い表情でこちらを振り向いた。

「…キューエルを、純血派として私の部下に取り立てたいのですがよろしいでしょうか? 今の私は囚人の身ですが、いつか釈放して下さる日が来た暁には…。」
呆然とするキューエルは、驚きのあまり持っていたバッジを床に落とした。「私は不甲斐ない上司です。私は、オレンジかもしれない。それでも、私は純血派として、ブリタニアへの忠誠を違う者達を大切にしたいのです。」
短い沈黙を隔てて、ギルフォード卿は口元にふっと笑みを浮かべながら、キューエルを残したまま無言で廊下を去っていった。

「ジェレミア…卿…。」
「異論はないな、キューエル?」
「…イエス、マイロード。」

私が拾ったバッジは、鉄格子の向こうで泣きながら笑顔を浮かべる新しい部下の左胸へと、そっと返された。


【三十日目】
 「出ろ。ジェレミア。」
鉄格子が勢いよく開いた。
ギルフォード卿、ようやく分かってくれたのか。
「謀反の疑いに関してはな、オレンジ君。」
「!」
 …そういえば、私は昨日ギルフォード卿の前でオレンジを認めたのだったな。あれは失敗だったか…
それでも、ようやく終わりを迎えることができた。
位を三つも下げられたけど。体中に傷跡が増えたけど。
ほんの少しだけ、オレンジに強くなった気がする。
キューエルともこれまで以上に仲良くやっていけそうな気がする。

 私に与えられた未来は二つ。
一パイロットからやり直すか。オレンジ畑を耕すか。
私は迷わず前者を選んだ。
純血派は、また一からやり直せばいい。ヴィレッタもキューエルもいてくれる。二人がいてくれたら、きっとまた―――――――再び袖を通した青い軍服には、真紅に輝く真新しいバッジが胸元にしっかりと付けられていた。





……The End……








◆あとがき◆

拘束ジェレミアの話が書きたくて、ジェレミアをいじめる話にしたくて、ジェレミアが泣いてる話が書きたくて…でも書いてるうちに罪悪感湧いてきて…結果的にいい話が出来上がりました。

 この話を書いていて。30日間もどういじめてやろうかと考えていて。
ジェレミアって「オレンジ」って言葉聞くだけで嫌がるだろうなー。
だからオレンジなんて絶対食べないだろうなー。
ジェレミアって髪型に絶対こだわってそうだから乱してやろう。
ジェレミアって潔癖性っぽいから汚してやれ。
でも普通に「拷問」っていったら蹴られたり殴られたりだよな…?
体だけじゃなくて心も抉ってやろうじゃないの!

…悪です。キューエルが、というより自分が。全ては泣いてるオレンジ、もといしょんぼりオレンジを愛しすぎた所為なんですがね(´Д`)

 ちなみに。キューエルと共に純血バッジを割った隊員たちは全員処分されました。
キューエルはちゃんと自分のバッジを残していて、ジェレミアが部下に引き戻したワケですが、あの連中はキューエルと一緒になってジェレミアをいじめることを楽しんでいただけで、ブリタニアにそこまでの忠誠は無かったのです。
 そして、表現の都合上原作の電子的な監獄と違って鉄格子になりました。
まだ拘束状態のジェレミアが向こうにいるキューエルへとバッジを返すのに、電子扉じゃ無理ですから…。

ジェレミア視点でいつもと少し違ったタイプのお話でしたが、最後までお読みいただきありがとうございました!